Sunday, November 26, 2017

ニュース


父母(ジャンカーCF & パトリシア)が始めた豊かな命聖書書店で宗教改革関係の展示と
リーダーシップについての学びが最近新聞で紹介されました。



クリスマスのプレゼントをこの書店でぜひ買った下さい。

Sunday, November 19, 2017

「心の貧しい者」


1741年、アメリカ、コネチカット州の無学のネーセン・コールは、伝道師ジョージ・ホウィットフィールドのメッセージを聞きに行きました。これが彼の証言です。

「彼のメッセージを聞いて、心に傷が出来た。また、神の祝福によって私の古い土台は、壊された。そして、自分の行いが自分を救えないことが分かった。」

人は、なんだかの道徳を神に差し上げたいのです。でも、神に来る時、何も手に持って来れないのです。何も。それは、私たちにとって無理なことです。「心の貧しい者」ですから。手ぶらで神の前に来るのです。手に何かがあれば、ただ私たちの罪です。「私の手に何も持って行きません。ただあなたの十字架にすがります」と詩人は書きました。

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」イエス・キリスト、聖書・マタイ5:3

Wednesday, November 1, 2017

『さわらぬかみにたたりなし』


「聖書は罪の本質を、神ヘの反逆である、としています(出エジプト記20:3、4*)。現代、私たちの大部分は、神を信じようが信じまいが人間の勝手であり、罪ではないと考えています。ですから、『さわらぬかみにたたりなし』と、神に対して無関心、そして自分勝手に生きるのです。ところが、これこそ実に神に対する反逆なのです。。。人間の罪の根本を考えてごらんなさい。

出エジプト記20章前半の十戒を読んで下さい。)

殺人 — 人生の生命の神聖さに対する無関心と反逆。
盗み — 人の所有権の神聖さに対する無関心と反逆。
姦淫 — 愛の神聖さに対する無関心と反逆。
偽まん — 真理の神聖さに対する無関心と反逆。
貪欲 — 人の権利の神聖さに対する無関心と反逆。

これこそあなたとその他のすべてのものを造り、愛しておられる神に対する無関心であり、反逆なのです。夫に対して愛がなく無関心な妻は、他の全ての点で満点であっても、彼女は背ける妻です。それて同じように、神を神としない人は、他のどの点がりっぱであっても、そむける罪人、神の怒りに値する人間なのです。」羽鳥明

*聖書・出エジプト記20:3−4「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。」