Wednesday, February 22, 2017

ジョン・バンヤン



イギリスの有名な作家ジョン・バニヤンは、ある日、道を歩いていました。貧しい女性数人が話しているのを聞いて、近よりました。神の恵み、またキリストによる救いの力を体験した話をしていました。彼は、驚いたのです。なぜなら、自分が体験した事はなかったのです。しかし、そこで、彼は『救いは、人から来たり、人がするものではなく、神から来る』と悟りはじめました。罪の赦しを得る為には、神によって取り扱ってもらわないとだめだと分かりました。でも、女性達は、恵みの日ざしを浴びていましたが、彼は、頑張りながらも、魂の寒さに震えていました。

自分から目を離すまで、キリスト、その十字架と平安を見いだすまで、彼は、さらに疑いと失望にさらされました。彼の高慢さが強くて、自分の罪によって迷っている状態を認める事は、出来ませんでした。

ある日、宗教改革者のマルテン・ルターの「ガラテヤ人の注解書」を読み、彼の魂は、照らされました。彼は、またサタンの誘惑にあい、また格闘しました。が、やっと次の聖書箇所によって解放されました。『キリストの血潮は、全ての罪から私たちを清める。』彼は、こう書きました。「私は見えたのです。自分の心の状態が良いから義(正しさ)が増えるのではない。また、自分の心の状態は、悪いから義が悪くなるのではない。なぜなら私の義は、『昨日も、今日も、また永遠も同じである』イエス・キリスト御自身である(と悟ったのです)。」

Thursday, February 16, 2017

恐れからの救い


恐れるべきものは多いです。人だけではないです。自分の罪。世間体、『出る杭は打たれる』のです。悪魔、悪霊はいて、私たちの一番の敵です。

しかし、忘れてはならないことは、生ける真の神は、天地宇宙を造られて神です。何よりも強いお方です。全てを愛をもって治めています。

はじめ人間は、安心して神と共に歩んでいました。しかし、神の言葉を無視して、悪魔の声、人の声に聞き従いました。その結果、恐れに捕われ、神様から隠れてしまいました。サタンは、この世を強く支配するようになりました。

しかし、神は、いろんな恐れのある世の中に、御自身の一人子救い主イエス・キリストを送りました。神は、超自然的な力で、人となりました。主イエスの誕生の事です。病人を癒し、死人をよみがえらせ、悪霊を追い出しました。十字架で主が弱くなる事によって、悪魔などの権力と力に打ち勝ちました。主は、三日目に力を持ってよみがえりました。

私たちは、生ける神に心を向けば、主の後について行けば、私たちは守られ、力が与えられるのです。常に御心にかなって救われるのです。

聖書・詩篇56:3&4「恐れのある時に、私は、あなたに信頼します。。。私は神に信頼し、何も恐れません。。。」

将来未来の大きな救いは、サタンとその手下は、完全に縛られることです。新しい天地が造られ、私たちは、安心して、神をそこで楽しみ讃えるのです。

この救いの計画と御業が常に行われているから、救いの主にどんな時でも叫び、つまずく時も、救い上げられ、しっかり立てるのです。

読む: 高山右近 「私は恐れない!」

参考になる聖書個所:詩篇3編

Thursday, February 2, 2017

自尊心



なぜ人は、悪い事をするのでしょうか?昔、欧米では、高慢だったから、と言いました。数年前の心理学者は、自尊心がないから、と言ってしまいました。でも、最近の心理学者でも認めています。『自尊心の高い人こそ回りの人にとって脅威である。』

聖書・ルカ18:10−14にあるイエス・キリストの例えです。
 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりは(宗教家の)パリサイ人で、もうひとりは(罪人と言われていた)取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』*
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』**
あなたがたに言うが、この人が、義と認められ***て家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。

* すごい自尊心です。
** 自分を低くしています。
***「義と認められる」事は、神に受け入れられ、愛されている事。

★ 鍵は、神の前で謙る事です。