Thursday, February 27, 2014

『ノア 約束の船』


映画「ノア 約束の船」良いタイトルだね。裁きと望み!

6月公開。

「人間は堕落し、地上には悪がはびこった。
そして、主は仰せられた。
全てを、地上から消し去ろうとー。」
聖書・創世記より

世界を飲み込む大洪水を前に、
生きるもの全ての運命は、
『ノアの方舟』に託された。
神は何故、ノアを選んだのか。
世界を新たに創造するという途方もない約束の結末とはー。


Tuesday, February 25, 2014

悪を目の前にして黙っている



「悪を目の前にして黙っていることこそが悪である。神は私たちを無罪にしておかない。語らないことは語ることである。行動に移さないことは行動に移すことである。」ディートリッヒ・ボンヘッファー(彼は、牧師であり、ナチスとヒットラーに立ち向かって、死刑にされた。)

"Silence in the face of evil is itself evil: God will not hold us guiltless. Not to speak is to speak. Not to act is to act." Dietrich Bonhoeffer

Thursday, February 20, 2014

「空の空」21


「空の空。伝道者は言う。すべては空。伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」伝道者の書12:8−14


「結局のところ」

「君よ。君はこれ以外の拠り所を探そうとするか。神以上のもの、神以外のものを…。」小畑進

ソロモン王は、ここで伝道者の書をまとめています。「空の空。伝道者は言う。すべては空。」造り主抜きでは、全ては、空しいのです。釈迦が生まれた500年前の西暦前の1000頃これがソロモン王によって書かれました。。。肯定的にまとめると、確かに、神にあって、キリストにあった、全てに意義があるのです。教育、仕事、娯楽など全てが神が与える賜物であるのです。

王様または、「伝道者」でもあったソロモン王は、自分の事を「知恵ある者」と自画自賛します。が、これは、ただの自画自賛ではないのです。彼は、良く知っていました。その知恵は、本当は、神から来たのだと。彼は、良い王として「知識を民に教えた。」彼はさらに「思索し、探求し、多くの箴言をまとめた」のです。彼は「適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した」のです。しかし、これは全て、神が与えた知恵であり、それが伝道者の書、雅歌(がか)や箴言という聖書の神の言葉と成ったのです。神がソロモン王の人格を導きました。。。ですから、私たちは、公子や孟子のような、ただ人の知恵の言葉として伝道者の書を読むのではなく、生ける神の言葉として読み、従うのです。

ただの人間の言葉としてみるなら、「全ては空」と言う言葉は、あまりにも痛く厳しいのです。私がして来たあまりにも多くの事が何でも無いと言う事はとても辛いです。書いてあるように、「知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、。。。よく打ちつけられた釘のようなものである」のです。でも、その知恵は、聖い愛の神の言葉なら「痛くても、厳しくても、はい、信じ、従います」となるのです。神の言葉には、慰めだけではなく、私を懲(こ)らしめる愛と聖さがあるのです。人間にとって「多くの本。。。(や)ものに熱中すると、からだが疲れる」だけです。が、この伝道者の書や聖書全体は、全知全能の神の言葉ですから、私たちのところに無事に「運ばれ」伝わって来るだけではなく、私たちの原動力と成るのです。

私たちがまだ香川県、三豊市の高瀬町にいた頃、あるお遍路さんが私たちの教会を電話し、「泊まらせて下さい」と言いました。私たちは、彼を喜んで迎え、一緒に食事をし、高瀬温泉に連れて行きました。「足を伸ばせたのは久しぶりだ」と言いました。彼は、心身共に非常に疲れていました。私たちは、イエス・キリストにある十字架の恵みを説明しました。また、彼は、荷物に三冊の聖書を持っていました。彼は、こう言いました。「修行をする時には私は、仏教の聖典を読みますが、慰められたい時に聖書を読みます。」。。。聖書を読んで下さい。聖書は、真に力と成ります。いや、力ある唯一の神を知ることが出来ます。

「すべては空」ですが、私たち人類は「結局のところ」結論として、「もうすべてが聞かされていること」で応答するはず、応答するべきであるのです。先ず「神を恐れよ。」存在する神を、天地を造った神を、真の神と認め、恐れ、敬い、愛する事です。神は、人々が作るような神と違い、全てを造ったお方です。宇宙と全ては神のものです。無限で、超越していて、栄光に満ちているいるお方です。ですから、心から敬愛するのです。

聖書全体のストーリーを読むと、恐れ敬う神は、人となられました。真の神は、人格的なお方です。主イエス・キリストの事です。イエスは、私たちの罪を自分に背負い、私たちの死ぬべき永遠の死を十字架上で代わりとなって死んで下さいました。私たちのように空しいものを追い求める者を、イエスが追い求め、私たちを究極的に愛して下さいました。十字架の犠牲的な愛です。私たちは、ただ恵みによって、ただ信仰によって、この愛のゆえに意義が与えられるのです。私たちを造った神にあって、空しさではなく、生きる目的が与えられます。

でも、私たちは、この意義を与える神を心から敬愛するのです。「神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」神の測り知れない愛を心にして「神を愛して、隣人を愛する」のです。

哲学者神学者アウグスチヌスも、敬虔な母モニカから創造主のことを聞きながら、放浪、放蕩、遍歴して、母が教えてくれた元の福音に帰って来ました。「私はあなたにつくられましたから、私の創造主のふところに帰るまでは安心はありませんでした。」と告白していました。そして、この永遠の神の言葉は、あなたに語りかけます。香川県の池戸キリスト教会で小畑進牧師はこう語りました。「君よ。君はこれ以外の拠り所を探そうとするか。神以上のもの、神以外のものを…。」

小畑進牧師は、この祈りで伝道者の書をまとめます。

「わが主にまします神さま。
『伝道者の書』も始めあれば終りありでした。。。
あの思想、この思想と探険し、一時は心酔しながら、
やがて来たところは、
日頃から覚える創造主の神のふところでした。
これ以外になく、これ以上になし。
それもそのはずで、
わたしを創造ったあなたこそわが目的、
わが在りかたを御存知なのです。
この道を惑わず踏みしめて来て、
わが人生悔いなしと確かめさせてくださいますよう。」

これも、あなたの祈りとなりますように。

Tuesday, February 18, 2014

唯一の観客



「私は唯一の観客のためにパウレーする:キリスト。」USA女性ホッケーのアン・シェルパー(Anne Schleper - Wikipedia)

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも(ホッケーをするにも)、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」聖書・1コリント10:31

ソチ・オリンピック、2月20日、USAがフィナルをカナダとする。予選は負けている。

Monday, February 17, 2014

しかし、キリスト教は違う


「他の全ての宗教と哲学は、神と繋がる為には何かをしなければならないと言う。しかし、キリスト教は違う(英:no)と言っている。イエス・キリストは、あなたが自分の為に出来なかった事をあなたの代わりにする為に来たのだ。」 チモシー・ケラー

"Every other religion and philosophy says you have to do something to connect to God; but Christianity says no, Jesus Christ came to do for you what you couldn’t do for yourself." Timothy Keller

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。(2)だれも誇ることのないためです。」聖書・エペソ2:8−9

Saturday, February 15, 2014

Wednesday, February 12, 2014

雪を楽しむ


教会の前で雪を楽しむシェーンとホサーナ

雪、雪、さらに雪


先日の土曜日、
雪50cm降った。

 だが、そのまま外人と聖書研究(人生に福音)。

昨日、
 安曇野ファミリーチャペルで、

宣教師が祈った。

Monday, February 10, 2014

乗鞍


男の子がスノーボードをやっている間、

奈帆、ホサーナと私は、白骨温泉に行った。

Tuesday, February 4, 2014

ジャネット・リン


1972年札幌冬季オリンピック後、ジャネット・リン(銅メダル)が日本に帰って来た。キリストを信じていたから、尻もちをしても、続けて笑顔でいられた、と常に語った。ジャネット・リン、サポロで尻もちYouTube

札幌で、コンパルソリーでは4位だったが、フリーで1位。結局は銅メダルであったが、失敗があったにもかかわらず、芸術点ではスウェーデンの審判が満点の6.0を出した。両親がクリスチャンで、自身も12歳でクリスチャンになった。

このように彼女は語った。「規定演技が4位に終わり、悲しくて選手村の部屋で泣きました。でも五輪で勝利するという当初の使命は果たせなくても、代わりにスケートを通じて神の愛を皆に見てもらうためにベストを尽くすのだ… 練習ではあそこ(スピン)で転んだことなんて一度もありませんでした。あれは神が仕掛けたストーリー。どうすることもできないならば、私は笑顔であり続けるしかない… 神が私に喜びを与えてくれ、私はその愛を見せようとした… それ以外に説明ができません。」

15年後、ある女性がジャネットに手紙を渡し、次ように書いてあったそうです。『私は失望していて、自分の命を取るつもりだった。でも、ジャネットのキリストに対する信仰と希望の話しを聞いた。自分もキリストに希望を置くことに決めた。』。。。ジャネットは金メダルを取らなかったが、この女性は真の希望を得た。

聖書・詩篇42:5「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」