Wednesday, October 11, 2017

「ダンケルクの奇跡」


歴史の大好きな私は、歴史の好きな長男、ジャシュア、と一緒に映画『ダンケルク』を見に行きました。とても良かったです。

1940年の5月、ヨーロッパの第二次世界大戦のはじめの頃です。ナチスは、すごい勢いで、西のフランスやベルギーのほうに攻めて行きました。ダンケルクという町を囲みました。フランス軍やイギリス軍を絶滅に追い込むことは出来たのです。でも、不思議に将軍達に反対し、ヒットラーが前進を止めたのです。

英国首相ウィンストン・チャチルは、イギリス本土への撤退を命じました。でも、せいぜい300,000人の中から20,000人が逃れると思いました。脱出の為に多くの大きな船から小さな船まで国民にお願いしました。渡った時、ドーバー海峡は、不思議に静けさがありました。

不思議に、ちょうどそのころ大陸のほうでは、嵐があって、ナチスの飛行機は、飛べなかったのです。後、ダンケルクの港や砂浜を攻撃しました。撃たれそうになった時も、イギリス軍の負傷者は、比較的に少なかったのです。結果的に、フランス軍人を含めて、335,000人の兵士が再び戦えるように無事英国に帰りました。

これは「ダンケルクの奇跡」とも言われています。なぜこのようなことが起こったのでしょうか?英国の方は「神に祈ったから」と言いました。

イギリスの国王ジョージ4世は、敬虔なクリスチャンだったそうです。彼は、日曜日の5月26日を「国の祈りの日」(National Day of Prayer)にするように命じました。全国民が教会に行って祈ったのです。国王は、ロンドンのウェストミンスター・アビ教会で礼拝しました。。。そして、この祈りは、聞かれたのです。

次の日曜日、6月6日(日)「感謝の日」を持ちました。それで、会衆と聖歌隊は、次の詩篇124編を歌ったのです。後半を読んで下さい。

ほむべきかな。主。
主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。
私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。
わなは破られ、私たちは助け出された。
私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。



Sunday, October 1, 2017

「すべての人は、罪を犯したので….」



ある時、一人の泥棒が捕えられ、王の前に引き出されて死刑の宣告を受けた。すると彼はふところから一枚の金貨を取り出し、「王様、実はこの金貨は、一度も悪いことをしたことのない人が土に埋めると、金のなる木がはえるのです。ところが、ところが、私は悪いことばかりして、とうとう植えることができませんでした。王様なら罪はないでしょう。これを一つお植えになって見て下さい。」

王は身震いをはじめた。そしてすぐ総理大臣を呼んで命じた。「お前は本当に忠義な部下だ。お前が植えるのがよかろう。わしは今まで、殺さなくてもよい人を殺したり、取らなくてもよい国を取ったり、考えてみれば悪いことばかりしてきた。」「ちょっと王様、お待ち下さい。私もあなたと一緒になって同じようなことをして来ました。また、数多くの人々から税金を余分に取りたてていました。私もだめなのです。」

次の呼ばれたのは警視総監であった。「お前は人をさばく役柄、まちがいなかろう。うえてくれないか。」「おゆるしゅください。私も人をいじめたり、不正なさばきをいたしました。ゼウスの神主なら神に使えているから、間違いないでしょう。」

ゼウスの宮の神主が呼ばれて来た。彼も王の前に出ると青い顔をして、おそるおそるいった。「私はよく採金をごまかしたのです。」

その話しを一部始終なわにくくられたまま聞いていたかの泥棒は、大笑いしていった。「みなさん、私と一緒に死刑になったらどうでしょう。」

「多かれ、少なかれ、私たちは、罪を犯して来た。」ルキウス・アンナエウス・セネカ

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」聖書・ローマ3:23−24

Tuesday, September 26, 2017

「全世界を得ても。。。」


「人は、たとい全世界を得ても、魂(本当の自分)を損じたら、何の得がありましょう。」イエス・キリスト、聖書・マルコ8:36

上の前後を読む:マルコ8章

Monday, September 18, 2017

『疲れしわが友、我にきたれ』



行けどゆけども
ただ砂原、
道なきところを
ひとり辿(たど)る。
ささやくごとくに
み声きこゆ、
「疲れしわが友、我にきたれ」

やけたる砂原
いたむ裸足、
乾きのきわみに
絶ゆるいのち、
しずかにやさしき
み声きこゆ、
「いのちの泉に、来たりて飲め」

かえるに家なく
疲れはてて、
望みもなき身は
死をぞねがう。
さやかに力の
み声きこゆ、
「帰れや、父なる、神のもとに。」   

賛美歌244番、作詞 Kanjiro Nagasaka、1951

聖書・マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」イエス・キリスト

Wednesday, September 13, 2017

「人がその友のためにいのちを捨てる。。。」


オンラインABCNewsによると、9月9日(土)ワイオミング、ミシガンのお母さん、ケアリー・デクラインは、お腹にいる赤ちゃんを守るために、ガンの治療のケモセラビー(化学治療法)を拒み、天に召されました。Woman who chose baby instead of chemotherapy has died - ABC News 中絶を拒み、赤ちゃんを生かしたかったのです。深い信念のある勇敢な犠牲です。


ご主人は、こう言いました。「痛いです。が、これは、彼女の願っていたことです。この子を守りたかったのです。私の家内は、何よりも、主(イエス・キリスト)を愛し、彼女の子供達を愛していました。」

Facebookに聖書のヨハン15:13がのっていました。ヨハネ15:13「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」キリストの身代わりの十字架を思い出します。十字架の意味:ヨハネ3:16


マザー・テレサは、妊娠中絶についてこう言いました。「私たちは、殺人、虐殺、戦争、憎しみについて聞く時、驚いては成りません。お母さんが自分の子供を殺せるなら、私たちが互いに殺す意外の道はあるでしょうか?」私たちの間にいる一番弱い者を守らなければ、他はどうなるのですか?このお母さんのように、妊娠中絶をも止めることです。(アメリカだったら、銃規制をすることです。)これは、極端ではなく、基本です。一番優れた社会は、一番弱い者を大切にするのです。いわゆる「胎児」(お腹にいる赤ちゃん)、老人、障害者などを大切にするのです。進化論が教える「弱い者がなくなり、強い者が生き残る」世界観ではなく、「強い人」は「弱い人」を救い守るのです。

天に召された
ケアリー家族のために祈りましょう。子供を育てるお父さんや、悲しみにある家族のために。


Tuesday, September 5, 2017

ファミリー・バーベキュー


奈帆とわし。スイート(SWEET Co. )の社員の家族のための「ファミリー・バベキュー」で。
子供達も行きました。家内は、週に2日、近くのパン屋さんでバイトしています。

Tuesday, August 29, 2017

「世間の目を気にする」


「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は守られる*。」聖書・箴言29:25

「世間の目を気にする」と言います。あまりにも、人を恐れて、動いたり、動けなかったりします。この聖書の箇所によると、その人は、罠にかかっているのです。身動き出来なくなり、真実なことや、キリストの愛によって行動できません。ある人は、人を気にして、教会にも行けません。「しかし」は、大事な接続詞です。開放される道があります。「主に信頼する」と「守られる」のです。ですから、人に束縛さらずに、自由に動けます。真実と愛を実践出来るはずです。いや、イエス・キリストの尊い恵と自由を味わうと、出来ます。

*「守られる」は、高い、悪の手の届かない安全なところにある、という意味。